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 2,004年1月 31日(土)
 今日は新城で現場の仕事、18時位にやっと終わり家に帰った。帰ってから聖士會館の新年会があるのでそれを手伝うために丸中食堂に行った。丸中の女将さんは何時も工夫を凝らした料理を作って戴ており、料理を一品考えるだけでもなかなか大変なことだろうと思う。
 その甲斐あってか好評で皆さんが美味しいと言って食べてくれる。料理人冥利に尽きると思った。

   2,004年1月 30日(金)
 最近少しずつ温かくなっている気がする。このまま春が来ればいいが、もう一度くらい冷え込むのが常だ。
 昼間、一時間休憩をとるが目茶眠くて休憩時間が始まって一時間位爆睡だった。今日の空手道の稽古から帰ってきても車であまりにも眠くて寝てしまった。この眠さは何だろうか?梅醤油番茶に生姜末を飲んで今日は寝る事にする。肝臓復活に向けて。

 2,004年1月 29日()
 仕事が長引いてしまい、結局完成出来ずに帰ってきた。後少しだったがタイムアップを宣告され、お客さんはもうかんかんで業者を変える事になってしまった。悲しくも情けなく残念だった。うちの社長は後から電話をして来て労ってくれたがもやもやは取れそうにない。
 丸中の女将さんから電話がかかってきて館長バードコンピュータの金井社長と本永さんが来ているというので合い席させてもらった。一日で禁酒は壊れてしまったがお祭りから連日連夜で肝臓がやばそうであるが何時も麒麟会は楽しい。

 2,004年1月 28日()
 最近は仕事が暇で早く帰れること多い。仕事帰りに聖士會館の本部に寄らせて戴き、聖士會館オイルと里芋湿布をを実家に送るために買って、送る手続きをしてもらった。いつも実家の家族は甦液の恩恵に与かっているが今回は自分の実体験として三日で脱臼を立てるようにしてもらった里芋湿布と聖士會館オイルを怪我をした患部につけてもらうのが目的だ。本部には大勢の患者が来ており、目茶お忙しそうだったのにもかかわらず珈琲をご馳走になり帰ってきた。
 その後、丸中の女将さんともう一度お邪魔してまた麒麟会に参加させて戴いた。何時も思うが館長はじめ太郎さん由美さんのお心遣いには感謝であり、申し訳ありません。何時も有難う御座います。

 2,004年1月 27日(火)
 今日は空手道の稽古に始めから出る事が出来た。礼儀作法についてのご講義は続いており、まず、拝の礼儀(神様に対する礼)と揖の礼(普通の礼)の違いについて。基本的に神様に対する礼は90°傾ける。座礼では頭を床につけ、深深と頭を下げる。目上の人や立場の同じような人達については30°〜45°傾けるのが普通で空手道などの道場では基本的に会釈(頭をあまり下げない礼)はない。
 蹲踞(忍者の膝まづく格好)についての基本もご講義戴いた。他にも立礼で学校で教わるような卒業証書を貰うような指を横につけたままの礼は間違っており、自然と前に手が行くのが礼儀のある人ならやって居ることである。これだけでもこの人が礼儀を知っているのかそうでないのかを知る事が出来ると思った。

  2,004年1月 26日()
 すっかり心は癒され、すっきりしている。これで今週もリフレッシュ!
 母から赤飯を持たされて宮城から重かったがタイミングがいい。お昼ご飯は赤飯にした。
 仕事から帰ってきて、夜は服部君と久し振りにディナータイム、家から蛸を持ってきたのでそれをそのまま蛸焼きにした。丸中の女将さんの妹さんにたこ焼きホットプレートを貰ったので使ってみたくて仕様がなかったのだ。段々と蛸焼きの焼きも上手く返せるようになった。これで蛸焼きパーティーも出来るかな?

  2,004年1月 25日()
 二日酔いが思ったより軽い。妹が仙台の自分のアパートに帰るというので便乗させてもらった。近くの母親の実家に行った。つい最近まで叔父さん達家族が住んでいたが仙台に越してしまい、寂しく空家になっていた。御祖父さん、御祖母さんのお墓に行って報告と色々祈った。
 仙台に着き、高校の野球部の同級生と先輩の顔を見た。先輩はすっかりいいパパになっており、昔のバリバリだった頃のイメージが消えていた。懐かしい話をして楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。
 その後、大学の友人が宮城県内に住んでおりバスが出発する前に1杯やった。楽しい酒で2件はしごし、また、飲みすぎてしまった。流石にバスでは岐阜の恵那峡まで一回も目を覚まさず熟睡だった。

 2,004年1月 24日(土)
 自分は6時半起床。田舎の朝はもっと早く準備はもう整っている。上着に羽織る半被とたすきの遣り方を御父さんから教わり、山車のある場所まで行った。山車は6畳間くらいの柱で囲まれた一部屋分を15,6人で担ぐ。私は体が大きいという事で前から2番目を担ぐことになった。山車が思った以上に重い。「ちょうさいど」の掛け声が大きくなっていく。何故なら、お神酒を飲んだり気合を入れないと重くて逃げ出したくなった。
 宮城県内では有名なお祭りで県の重要無形文化財に指定されている。また、奇祭とあって観光客やテレビ局、新聞社の人達が多く訪れるようになっていた。「おもいつき」がこの祭りの名前だが、思いつきで寸劇をやることからそれが訛り、今や「おめつき」という名前になり有名になった。私達のために年配のベテランの方々がネタを考えてくれており、それを一番最初に遣らせてもらった。ベテランの人達は絶妙ともいえるタイミングとほぼアドリブのお客との掛け合いで会場を沸かして行く。久し振りの見たが面白かった。
 近くに秋葉神社という神社があり、そこまで参拝しに行く。火伏せがこのお祭りの起源であり、大きい山車が道を通り、火消しの車が通れるように道を山車がぶつかりながら作って行ったのが由来と言われている。それなので和太鼓と横笛の音は止む事なく、山車を左右、上下に激しく煽りながら進んで行く。おかげで終わった時、肩が真っ赤になってしまった。
 お祭りが終わり、打ち上げがあった。地元の先輩の色々貴重な体験談とお祭りに対する思いを聞き、楽しくも熱い物を感じた。楽しい酒だった。

  2,004年1月 23日(金)
 何年か振りに地元のお祭りに参加する事が今回の帰省の最大の目的だった。中学校以来という地元に住む友達に会うことができ、そして、今日は明日の本番の準備と練習が19時位からあった。久し振りの地元の訛りと独特の人間の雰囲気を感じて落ち着いた。訛りも自分が三河弁と宮城弁のバイリンガルと思える程、三河弁と全く違う言葉を聞き、話せるのが心地良かった。
 自分の両親はこういう世界を大事にして生きているんだ感じられて事とお祭りがこの地区の最大の行事であり、一緒に参加できるという喜びを知った。

  2,004年1月 22日()
 遅いお正月休みを戴いたので仕事を終えて名古屋から夜行バスで仙台まで帰省した。大雪で名神高速が止まっており、行けないのを覚悟した。名古屋に着くと雪が吹雪いていて、こちらに来てこんなのは初めての経験だった。東京までは何とか高速で行くことが出来きたが、栃木、福島と北上するに従い雪も強く降って来た。福島に入って暫くしてバスは高速を降りて、下道を延々合計14時間かかって仙台に着いた。引き返す事も考えていたので仙台着けてラッキーだった。

  2,004年1月 21日()
 小牧の仕事はまだ解決しておらず、また、遣らせてもらうことになった。今度は失敗できない。方法は確立したので後はいかに間違いなく要領よく決めないといけない。
 他の物件も重なり、直ぐに時間が流れてしまう。帰省してご飯を食べて即効で爆睡。久し振りに良く寝た。

  2,004年1月 20日()
 曜日感覚のないまま、小牧から帰って来たのは11時で休みになった。全然すっきりしないが眠くて仕方がない。家に帰って6時まで爆睡。
 7時から消防団員の御父さんの御通夜があり、出席。心筋梗塞で倒れてそのまま逝ってしまったらしい。やはりこのような現代病はなくならないのだろうか?団員は喪主でしっかりと遣っていたが寂しいに違いない。
 空手道の稽古に遅れて出席。礼儀作法のご教授は続いているが聞けなくて残念だった。稽古の後、久し振りの麒麟は美味かった。

  2,004年1月 19日()
 ほんの一寸の油断で横になったと思ったら電話がかかって来た。一時間くらい寝れた。朝は雪が舞っており約束の時間に間に合うよう高速道路を飛ばした。
 昨日、助っ人してくれた人も連れ添って現場の作業を通した。データを書き換えても変な信号が入って機械が動こうとしない。論点を変えてやってみるも画面上に出てこない信号が私達の行方を阻んだ。お客は段々と口調も強くなって来ており、物凄いプレッシャーとピリピリとした空気が漂っていた。
 やるだけやって全く違う方法、今の使っている信号を使わないでやることにした。土壺に嵌ってしまったが一番の原因は早く見切りをつけてその方法に移行すれば良かった。朝6時、タイムオーバーとお客さんの呆れ顔、最後動かしたがうまく動かず打ち切りになってしまった。メインでやっていた人は健闘空しく惨敗だと言って疲れも倍増だった。
 取り合えず、今日動き出すのが約束なので手動で動かして小牧を去った。

 2,004年1月 18日(日)
 休日出勤だが昨日の事があったので休みとも言ってられない。どんどんと何が原因で機械が動かなかったか調べて行くうちに全く見当もしない所からデータを作っていると判明。それを解読していたら朝になってしまった。
 寄ってたかって色々な人に聞いてみて今の最善の結果を出して、これを基に再チャレンジすることにした。

 2,004年1月 17日()
 朝起きたら、一面銀世界、一瞬違う所に居たと思ってしまった。今日の現場も小牧で雪が降っているから早く帰りたいなと思いつつも、そんな心配する時間には帰れなかった。
 行きは大雪、朝方帰った時はは20m先が見えない程の霧で、まるで、僕等の心のように晴れないと話しながら帰ってきた。そんなこんなで明日も仕事、心が晴れるまで頑張ろう!

 2,004年1月 16日(金)
 爪の棘は全然取れなかったが館長にお電話してお聞きした所、「酢に十分くらいつければ、もしかしたら取れるかも。」と言われたので遣ってみた。取れなかったがあんまり痛くはなくなった。でも手の酢の匂いが...
 空手道の稽古で一度、棘を診てもらった所、これは爪が生えて棘が一緒に出てくるまで駄目だと言われた。必要以上にオーバーリアクションで臆病にも心配していたのが館長に言われてからもう気にしなくなった。病は気から、安心感を与えてくれるのも医術だと思った。
 今日の空手道の稽古では引き続き、礼儀作法のお話だったが、遅れてしまい大久保君に内容を教えて戴いた。胡座(平座)の座り方や武士が刀を拾い上げる時の遣り方などである。勉強になったのは武士は自分の使う武器に対しても敬意を払っている事。刀が落ちていたら跪いて拾い上げる。蹴っ飛ばしたり、転がしたりするなんて以ての外であり、自分の仕事道具であるとか勉強道具も大切に使ったりするの同じであると個人的にと思った。
 今、文章に使った「思う」の話も面白くて、「思う」は人間に使う言葉、「想う」は神に対するお言葉であるということ。派生語をみても「想像力」や「予想」等の言葉も競馬予想とか簡単使っていけない言葉なのかも知れない。そんな思いで言葉を使うのも謙虚な考えになれる気がする。

 2,004年1月 15日(木)
 今日の現場は尾張小牧の配線工事だった。
 場所が殆ど外で寒くて動かずには居られない。狭い所に手を突っ込んだらガラスの繊維が一筋が爪の間から爪の半分まで入ってしまった。寒さで手が麻痺であまり痛くなかったが帰ってお風呂に入ったら痛くなってきた。
 明日も尾張小牧で今日工事した分の試運転がある。同じ愛知県でも尾張は寒さが違う、雪が降らないにこしたことはない。

 2,004年1月 14日(水)
 最近、めっきり寒い。仕事場も引越したばかりでストーブがなくて寒い思いをしている。余りに寒いので自分宅の電気ストーブを持参して行った。
 隆啓がご飯を誘ってくれ、彼の彼女の手作り料理で夕飯をご一緒した。一寸した事であるが気を遣い、誘ってくれる気持ちが嬉しい。彼らはラストショーで今話題の「ラストサムライ」を見に映画館に行くそうだ。
 JRCラグビーのコミュニケーションを円滑にするためと、連絡網の徹底のためにメーリングリストの登録をした。メーリングリストに登録していればそのサーバーに携帯メールを送るだけで全員に転送されるので皆がグループ登録せずにメールを気軽に送ることが出来る利点がある。此れから、皆が馴染んでくれ、情報交換の場として通れば諸連絡を遣っている主務の人の仕事も楽になる。問題は新しいものを取り入れる際の勇気と馴染もうとする努力だけだと思う。

 2,004年1月 13日(火)
 岡崎まで現場の配線工事、今日中に仕上げねばならず20時半までかかってしまった。
 仕事後、岡崎では弱冠、雪が舞い始めた。空手道場へ着くと道場には稽古生が3人しか居らず寂しかった。館長由美さんに前回の礼儀作法の復習を教えて戴き、前回来れなかった楠美さんと一緒に聞いた。それは武道の歩き方であるが足の裏に紙一枚あるかないかのスペースを保ち、前々回遣った前傾の姿勢を保ちながら、頭を振らず、音を立てずに進むという物。意識するとぎこちない歩き方になってしまい、普段はできないがこれを無意識に遣る事ができたら忍者の様に音を立てずに忍び寄ることが出来るかもしれない。
 雪が振りそうな天気の中、遅れて来て帰る時間を延長してしまい皆様に申し訳なかった。すいませんでした。

 2,004年1月 12日(月)
 連休最後の日、朝から昨日出した消防のホースを洗い、干し場に吊るした。
 今日は成人式であるがテレビを見たら新成人が暴れている映像が何回も映った。私も七年前を思い出したがあの時の雰囲気と全く違い、何故あんなような事をするのか理解できなかった。高校生くらいの時、年上の大人に突っかかって議論(今思うと議論にもならない、話を聞いてもらうだけ)をしていたことがあったが自分の主張はあったと思う。テレビに映る彼らは、ただの我儘し放題の子供と同じ、式はストレス発散の場ではないと言いたい。それが主張だというなら幼稚園から出直した方がいい。
 何故、こんな事態が起きるか考えると我儘し放題の子供を叱る大人もいないし、それを抑制する本当の友達もいないからこんな状況が産まれると思う。だから私は常識から外れている事を臆せず叱る大人になりたい。

 2,004年1月 11日(日)
 今日が本当の消防の出初め式の日だ。今年一番の寒さらしくカイロを持って行ったが何もしないでずっと立っているのには凍えるような寒さだった。
 出初め式の後、そのまま豊川の河川敷に向う。JRCラグビー部も今日が練習初めで13人が集まった。来月の頭に公式戦を控えているので体力メニューを中心に練習した。お正月の不節制のためか、皆まだまだ体力は足りない。しかし、その中40歳を超える栗崎さんは最後の体力メニューを「えらい、えらい」と言いながらも平気でこなす。栗崎さんの強い意志と体力的な充実を尊敬すべきだ。それにつけても私達は考え直さないといけないし、負けてはいられない。
 練習を終え、丸中食堂でゆっくりしている時に「火事の規模が大きくなったから応援来てくれ」と一報が入った。御飯を後にして現場の松葉町に向ったら豊橋駅では燃えカスや煤が降って来ており、煙で充満していた。到着したらまだ、火が出ている。国道の23号線は完全に通行止めになっていた。どうやら23号線を横切って火の粉は飛び火し、一軒消している間に燃え移ったらしい。全消防団が居るのではないかというくらいの消防車が集合で惨事となっていた。風が火を煽るので消しても消しても火が出てくる。なんとか鎮火した状態になったのは16時半で3時間半も現場にいた。皆びしょ濡れの煤だらけで現場が騒然となっていたことが物語っていた。
 改めて自然と火の脅威を感じ、自然の前では人の範疇にない予想できない事が簡単に起こるのだと思った。国道の広い道を横切って飛び火しているなんて火を消していた人達はなかなか思う事ができないだろう。出初め式をやったばかりなのに出火の出初めにもなってしまった。皆お疲れで私も帰って一寸寝てしまった。

 2,004年1月 10日(土)
 消防の出初め式の日を一日間違えて副分団長を6時にたたき起こしてしまった。本当に申し訳ないし、全くアホだった。予定が狂い、午前中空いたので大学にラグビーの練習をしに行った。
 夜から聖士會館北岩田支部の赤川さん宅にお邪魔し、聖士會館の本部で麒麟会をやっているというので赤川さんと一緒に向った。赤川さんに自分のHPを見てくれていると聞いて嬉しかった。これから内容が薄いので色々なテーマを考えようと思う。
 麒麟会は楽しかったが最後の館長の言葉は何時も胸に響く。空手道の稽古で最近、礼儀作法を教えて戴いているがこの前の稽古には遅れて出て行ったので礼儀作法の時間に間に合わなかった。でも自分はそれを補おうともしないし、増して聞こうともしなかった。何回も人は同じ話をしてくれないし、集中して聞いていないから何回も聞くことになるのだともおっしゃっていた。
 一志さんのお話でも自分の事を言われていない時でも関係ないから自分の話ではないと話を流す人が多いとおっしゃっていた。確かにその通りで「人の振り見て我が振り直せ」というのはこの事だ。
 麒麟会の後、初めて聖士會館本部に泊めさせて戴いた。寝袋と毛布を借りて脱力したら不思議と直ぐに寝られた。

 2,004年1月 9日(金)
 引越しも今日で終了!明日も引越しの予定だったが早く終わったので思わず三連休をもらった。社長も自分の都合もあり、急に言われたが嬉しい。
 コピー機がバージョンアップしており、スキャナー付でハードディスクが中に入っているらしくデータとして登録できるので印刷しなくてもそのまま送信できる。インターネットはADSLに変わるが申し込み期間はダイヤルアップ回線なので暫くインターネットは止めてくれと言われたので残念だ。
 空手道の稽古には少し遅れて参加できた。今日は稽古生が沢山居り、賑やかでいい。拳立てで進む事が4,5歩出来るようになった。館長に前に言われたが痛くてできないという思い込みが行動の邪魔をする。自分は出来るという暗示と痛さを克服する努力が必要だと分かった。思い込みというのは考え方も束縛するが行動を束縛してしまうので先入観や思い込みは捨てようと思う。

  2,004年1月 8日()
 今日も会社の引越しの続き、今までの間借りしていた事務所はがらんどうになってしまった。後は電話とインターネット回線を移動するだけ大体の引越しは終わるが今度は新事務所の掃除と設定が待っている。
 水道局と中部電力に電話すると中部電力は午前中に電気を開通させてくれた。水道はライフラインの生命線なので引かれっぱなしなっており、電話すると料金が発生する仕組みらしい。
 住人紹介のページの三吉の武道空手の記憶をアップした。館長に撮って戴いた写真を載せた。

 2,004年1月 7日(水)
 ソフト改造のための準備で尾張小牧まで向った。ただ、ソフトの読み出しだけなのですぐに終了、守山のサービスエリアで昼食、トラックの運ちゃんや営業マンでごった返している。
 午後には会社に戻ってきたので引越しの続き。レイアウトしながらなのでなかなか思うように進まずいらいらした。
 今日も早く帰宅、時間があったので新しくできた自動洗車のガソリンスタンドに行った。なんでも人がいらなくなってる時代、ある国では車が信号で止まる度窓を拭く少年がやってくるというのに、この国は全部自動化で職がなくなるのかもしれない。

 2,004年1月 6日(火)
 今日は会社の引越し、階段を30往復、トレーニングと思いつつも机や棚の重力にうんざりした。
 会社が終わり、今日は武術空手の稽古初めだ。
 まず館長から長時間でも腰が痛くならずに立つ方法をご教授戴いた。背骨は普通S字を書くかの如く湾曲しているが尻を少し後ろに突き出すことにより背骨が真っ直ぐに近くなる。そしてまた、ほんの少し前傾になることにより腰に負担がかからなくなる。この体勢であると拳や蹴りもスムーズで動作に機敏に移ることが出来る。
 正座の状態でも同じ事が言える。正座で座る時、武道の場合は膝を相手に向け常に臨戦体勢を保ち反撃があった時に備える。それに対して茶道や華道など、その他一般的な挨拶の時は一本足を引き敬意を払うように膝を立てずに座る。お辞儀をする時も一緒で武道では常に脇を締め、一般的には脇を空け「抵抗ありません」という態度をとる事が礼儀であるとおっしゃっていた。一つ一つが道理があり、宇宙の秩序を守って礼儀があると知ると面白い。
 また、蜜柑を剥く話で蜜柑は頭の方から剥くのが礼儀であるという事。何故なら、甘味と言うのは下の方にあり、下から剥いたので甘味が全体に散漫してしまう。頭から剥き蜜柑の一房を下の方から食べるのが作法なのである。
 うーん今日もまた勉強になった。

 2,004年1月 5日(月)
 昨日の代休で休日、昨日の仕事が終わってから知ったので何も予定がない。お昼ご飯か朝ご飯か分からぬ食事を丸中食堂で戴いた。
 丸中食堂の掲示板に聖士會館の新年会がアップされている。何時も楽しく、勉強になる麒麟会が大好きなのでまた、参加させてもらおうと思う。
 晩になり、JRCの山口さんが麻雀をやろうと言い出して、急遽人数を集めて麻雀大会長々とやったの疲れてしまった。

 2,004年1月 4日(日)
 仕事初め、6時半起床、豊田の現場まで高速道路を飛ばした。帰省ラッシュの時間には合わず早く現場に到着した。機械屋さんはもう来ており、作業を始めていたが自分達は午前中位に見通しをつけた。
 ところが、早く帰りたい日に限ってトラブルは起こってしまう。センサーを取り替えただけなのに自動運転が効かない。解決するのに18時半までかかってしまった。結局センサー交換が原因ではなく、古い制御盤で電線がちぎれちぎれになっている所があり、うかつに触れない状態だった扉を開いたので電線が切れたのではという見解になった。なんとか代用品を使い電線を継ぎ足し、動かした。でも、はっきり言ってこんなのは動いてるのが不思議くらいに超危険な状態である。これを使っている事と事実上解決になっていないのが不満だったがお客は動けばいいらしい。ってなんだそりゃ。また、問題は起こりそうである。
 帰り際、聖士會館本部に寄らせて戴いた。そこでは麒麟会が始まっており、私も途中参加させて戴いた。その中のお話で聖士會館武術の神様である聖天仁大神様のお言葉を館長から戴き、黙想する時は「聖士會館武術を今日も精進させて戴く」という言葉が礼儀であるとご忠告戴いた。急に館長がそのような事を言われた事と今まで心で想っていた事をあまりにも的確に言い当てられたのには驚いた。それと同時に思いを寄せ心で語る事が大事だと分かったし、実践しようと思った。
 この後も麒麟会は続き、酔っ払った状態で他の人の思いを一致させる館長の凄さと色々な事を心の奥まで見られて恥ずかしかった。この場では隠し事は出来ないと思った。

  2,004年1月 3日(土)
 何とも10時間爆睡、起床したのは9時だった。不思議と自分のうちより良く寝れた。
 先輩がいい所があるのでとボールをパスしながら茶畑の段々畑をジョギング、頂上に着くと延々と続く茶畑風景と空にはちょうど鱗雲が広がる爽快な景色を見ることが出来た。街の中に暮らしていると車の音すら無意識に気になっている。こんな所に居ればそんな音すら無関係であり、ジョギングするだけで体が癒される。いい所に住んでいるなぁと少し羨ましく思った。
 長居すると帰りたくなくなるので午後から帰りの道についた。
 お正月休みも今日が最後と思うと寂しいが色々な人に出会えた事と心身共にリフレッシュしたので新年の出だしにしてはまあまあだろうか?
 明日から仕事初めだ。今年は空手武術では基本を元としながら精進させて戴き、そして仕事も技術スキルを上げることを目標として前進して行こう。

2,004年1月 2日(金)
 今日はゆっくりと朝寝を楽しんだ。
 午後から学生時代、相部屋であった先輩、鈴木賢二さんに招待され、静岡の菊川まで遊びに行って来た。学生時代の話も尽きなかったが今年結婚されるという奥さんを紹介された。物事をはっきり言うちゃきちゃきした表裏がない人で安心した。
 仲の良い人が結婚されるの少し寂しいがその時には心から祝いたいと思う。
 近くの嬬恋温泉まで行き久し振りのリフレッシュすることが出来た。自然の中の露天風呂は気持ちがいい。

 2,004年1月 1日()
 明けましておめでとう御座います。今年も宜しくお願いします。
 午前中にJRCでコンビを組んでいる木村さんと”初ラグビー”をしに公園へ行った。新年らしく凧揚げをやっていて凧が木の枝に引っかかったので木村さんは木に登って取ってあげた。誰にでも親切で気が回る。尊敬する先輩の一人だ。新年早々、体は重かったが走る事が出来て清々しかった。
 3時から空手道の稽古初めと神事が執り行われた。基本稽古をやり、滅茶苦茶に汗をかいてしまった。たぶんお酒の飲みすぎだろうか?稽古が終わると体が軽くなった。
 館長に写真を撮って戴いたのでそのうちHPにアップするのが楽しみだ。
 夕方に大学の同期や先輩がみえたので、またまた海鮮鍋大会!結構好評で野菜をたくさん食べれるので嬉しい。延々12時まで飲み続け、飲み正月が3日も続いている。それでも目は充血していない。とにかく楽しい酒は美味しい。
 佐久間さんの「克の夢空間」を相互リンクさせて戴いた。有難う御座います。

 

 
 

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