2,003年12月 

2,004年1月

2,004年2月

2,004年3月

2,004年4月

2,004年5月

2,004年6月

戻る

 

 2,004年5月  31日(月)
  何だか異様に暑く蒸し蒸しする天気の日だ。会社に中国の大連から帰って来た人がいてこっちよりも北にあるので寒かったらしく調子を崩していた。 温度が変わると体調を崩し易いので気をつけたい。また、梅雨の時期になると湿め湿めして布団も干せない。嫌だがせめて紫陽花咲くくらいだろうか。紫陽花は土の質によって花の色が変わるらしいと聞いた事がある。食中毒も起こしやすい季節なので自分で作ったのは特に危ない気がする。
 聖士會館旅行の写真をアップした。楽しい旅行だっただけに写真を見てニンマリ。

 2,004年5月  30日(日)
  旅行二日目。今日も天気予報とはうら昨日と打って変わり相部屋の笠原君と5時に起きて浜辺散歩。そしたら楠美さん達親子が居り、楠美家息子の達ちゃんが砂で遊んでいた。昨日から達ちゃんと仲良しになり、子供ながらも「三吉さん、三吉さん!」と懐いてくれて嬉しくて自分もはしゃいでいた。朝風呂も温泉なんてちょっとリッチな気分を味わい、朝食もバイキングで少し食べ過ぎた。
 東伊豆のシャボテンパークに寄ってチンパンジーの芸を見て、昨日遣ったうちらの芸より面白いなんて笠原君と話した。お昼を食べて、お土産を買って帰路に着いた。初めて参加させて戴いたが最高の旅行だった。
 主幹事の浜松支部の一志さんやサブ幹事の志貴夫さんには御苦労様でした。最初から迷惑掛けっ放しだった旅行だったけど色々な楽しい事もあり、良き思い出となった。

 2,004年5月 2 9日(土)
  今日朝から聖士會館旅行にご一緒させてもらう事になっており、前の日の夜寝てしまって朝9:20起床。9:20集合で起きた瞬間、現実逃避をしたくて夢だと思いたかった。早速館長に電話したら待ってもらう事になり一緒に行くメンバー全員に迷惑をかけてしまった。かもさん浜松支部の方々は原因も分からず長時間待ったようで本当に申し訳なかった。
 岐阜の小島相談役夫妻がゲームを考えてくれてバスの中を愉快に過ごせた。天城峠を越え浄連の滝に寄り、下田に着いて芝居で有名な唐人お吉の所や観光フェリーに乗ったりとイベントは盛り沢山だった。
 泊まるホテルは日本の景色か?と思わせる程の南国風景に海が拡がっていてサーファー達が朝から晩までサーフィンに明け暮れて居る所で、景色的にも開放的になってしまう。夜の宴会も盛り上がった。バードコンピューターの金井社長夫人の石川さゆり張りの天城越えに始まり、太郎さん由美さんのハモリ、一志さん志貴夫さんの渋い歌、そしてかもさんや狸さんのアイドル張りの歌唱、最後の永ちゃんショーでは観客総立ちのライブは最高潮だった。給仕の小母さんは本格的なライブと全員のりのりなのでびっくりしたと言っていた。
 その後の宴会部長の志貴夫さん風に言う”特別講座”もあり、後から田中先生ご家族も加わって楽しい夜は更けた。
 今日は私の妹達の誕生日で25歳になったらしい。おめでとう!!

 2,004年5月 28日(金)
  今日は残業があり、空手道の稽古には遅れてしまった。来て直ぐにやっていたのが蹴りの捌きや受け方で何時もながら勉強になる。下段の回し蹴りの受けは相手が出す蹴りを垂直に受けずにある程度角度をつけて受ける事で相手の力を分散させる。前蹴りは手で払う事から相手の後ろに飛び込んで返手で相手の後ろを取る事。拳を思いっきり握った受けよりも指や手を開いて受ける技は、動作に自然に受ける事に不可欠であるが本番でそれが生かすんは練習していないと出る技ではない気がした。

  2,004年5月 27日(木)
  日記のネタがないので今日は陰陽について調べてみた。陰陽とは東洋の伝統的な感覚であり、この法則は形ある物森羅万象に当て嵌まる。「陽」とは 収縮していく求心的なエネルギー 、「陰」とは
拡散していく遠心的なエネルギー の事である。
  食べ物や物事を見ると何となくその性質が掴める気がする。例えば陽性の食べ物にパイナップル、棘棘しい松は陽性の木である事からもわかるし、反対に陰性の食べ物はバナナ、夏に食べれば体を冷やす。熱さは陽で寒さは陰、男は陽で女は陰、動物は陽で植物は陰、怒りは陽で悲しみは陰、睡眠は陰で活動は陽など、こうしてみると陽だけでも駄目だし陰だけでもバランスは取れない。宇宙の秩序は必ずバランスを保って動いているということであり、これらを少しでも知っていればどちらかに傾いた時に自分で修正する事ができる。(一部聖士會館のHPから抜粋)

  2,004年5月 26日(水)
  一度使わなくなった機械の動かしているが前は、ちゃんと動いていたのに数ヶ月経たないうちに前のようには動かない。今又、元通りに動くように修理しており、それには時間もかかる。家も一緒で人が住まなくなると寂れてしまい、ボロボロになる。理由は機械の場合油切れであったり錆付いたり、家なら空気の流れがないし掃除もしないからそうなるのかもしれないが、放って置いてもその儘、何時までも状態を保つものなんてない気がする。あったら教えてください。

  2,004年5月 25日(火)
 今日の空手道の稽古は館長が秋田・東京出張で居らなかった。館長は今頃「輝きのパーティー」かなと思いつつ稽古に励む。前稽古で遣った前蹴りの受けを遣るがなかなか思い出す事が出来ず、由美さんかもさんにお聞きして何とか思い出せた。
 佐久間さんの携帯には次々とみどりちゃんの臨場感溢れる館長来東京の実況が流れていて気になってしまう。健司君に仕切って貰って今日は早めの稽古を終えた。

  2,004年5月 24日(月)
 今日は何時になく快晴。会社が終わってからやす子さんのご招待でやす子美容室の新住人の増田君の歓迎会があった。近くの寿司屋でお寿司などご馳走になった。
  やす子さんは最近韓国のドラマ冬のソナタにはまっていて彼女にとってはやす子美容室の住人の若い子が皆ヨン様?らしい。歓迎会は面白くも楽しく終わった。
  終わってからもう一匹の住猫?のブッチと戯れた。明日は店が休みなので幽閉される日が分かっているかの如く遊んでいた。

  2,004年5月 23日(日)
  午前中は晴れていたがラグビーの試合が始まる頃には土砂降りで大雨の中ラグビーを遣った。その雨で寒くて凍りそうになってしまった。後で聖士會館の館長から聞いたが風邪を引いたら雨の中土にごろごろ寝ると自然の恵みで熱と毒素が取れてしまい、其の後風呂にでも入れば完璧らしい、面白い。
  其の後、先輩の賢二さんが聖士會館の湿布が欲しいの言うので付き添った。丁度館長が来られてアドバイスと共に昨日の光講座 で遣った内容を先輩に施すことになった。それに加え前々回の操りを加えて調子悪かった肩が楽に動くようになり、痛みが取れた。手術をしなくても聖士會館の治療技術なら簡単に治るというのが分かってもらえたと思う。手術はしたら元には決して戻らないし、年齢を重ねると今以上に酷くなると仰っていた。館長にはオイルやその他のものを使わせてもらい有難かった。
 夕方から本部で神霊治療の一日目を受けさせて貰った。最後には滅茶苦茶に体が熱くなった。聖士會館の治療技術や神霊治療、そして空手道など自分の人生や其の価値観が全く変わる出来事が起こる。帰りは体が滅茶苦茶軽かった。

  2,004年5月 22日(土)
  あまり天気は良くなかったが畑に薩摩芋の株を植えた。出来るのが楽しみである。
  晩からは聖士會館光講座に出席した。今日の講座は癌の極性から始まり、何故一カ月前元気だった人が癌に冒され手がつけられない状態になる仕組みなど勉強になる。その人自身の持つ体質の圧縮成分の話は面白かった。まるでパソコンの圧縮ソフトのように体の何処かに圧縮する場所があるみたいだ。
 実技の指導もあり、由美さんが実験体で悶絶を繰り返しながら按摩によって咳が取れてしまった。各自特製按摩を遣りあったが悶絶して悲鳴をあげる奈津子さんやプッキーさん後から健司君が来て部屋が賑わう。オイルを塗ってやると何か体中の毒が出ているようだった。
 其の後楽しい麒麟会、今日は聖士會館本部で寝た。

 2,004年5月 21日(金)
  台風一過で五月晴れ。週末は会社が休みに入る準備をして皆がウキウキしている。
 空手道の稽古では一般の部の人が多くて賑やかだった。ミット打ちの後に火曜日の続きの突きの受けと下段回し蹴りの受け、そして、それを課題とした自由組み手があった。
  自由組み手は全員と対戦するが何時も力ばかりに頼るので、今日は受けと手数を出しながら受ける事を自分の課題とした。健司君と組み手をまともに初めて位に遣ったが上段回し蹴りの間合いでは蹴りが見えない。本気なら3回ノックアウトしていただろう。今日は道場に佐久間さん田中先生がみえており、場が活気づく。佐久間さんは合宿まで頑張ると言っており何時も絶えまぬ努力をしている人だ。だから自分も気合が入る。
 無地の帯に今日から十級の青線一本入れさせて貰った。なにか前の自分より堂々となった気がした。帰り際、館長に写真を撮って戴いた。

  2,004年5月 20日(木)
  昨日はカウントパーティーで酔っ払っていて感覚が鈍っていたが膝が絶好調に調子良く、心に想いを寄せて蹴りをついた時の一発目は異常に速かった。確認の為に何回もやったのは失敗だったがあれだけ蹴れれば気持ちが良かった。朝から二日酔いで駄目駄目だったが目覚ましもかけずに目が覚めた。昨日の不思議体験を其のままに会社に向かった。
 丸中食堂のHPにカウント記念パーティの写真がアップしている。丸中食堂の2階も昨日だけでも光の世界が少し展開したようだ。
 季節外れの台風で雨がじゃじゃ降り、あまり雨が多いと育てている作物も痛むので心配だ。
 服部君が元気になって帰って来た。肋軟骨の負傷らしく当分安静だが大した事がなくて良かった。

 2,004年5月 19日(水)
 今日は聖士會館の300万カウント、みどりちゃんの20万カウント、太郎さんの5万カウントのトリプルのお祝いが丸中で開始された。何時も館長には正しい導きをして戴いているが今日は特に聖士 會館の一員で良かったと思う日だった。
  300万カウントと皆簡単に言ってのけてしまうがそんなに簡単なものではなかったはずだ。私のHPのカウントは仲間内でしか見ないHPかもしれない。しかし、聖士會館は200万カウントから300万カウントまで加速的、脅威的なスピードで乗りきったの は凄かった。それはどういうことなのだろうか?!真実を求める人が多いと言う事でもあるし、そんな世の中に必要とされている事かもしれない。
 館長曰くHPの更新は矢張り一日一日の積み重ねと言う事であり、自分には恥ずかしい限りで更新をやると言う事がカウントアップに繋がると仰っていた。自分の怠惰な心を反省しと毎日に努力しなければ道というのは開けないと思った。ぷっきーさんの娘さんのゲームあり、演芸ありの楽しいお祝いだった。楠美さんの聖の字を形どった和風ケーキも凄かった。みどりちゃんやラムさんの娘さん 、かおるさんも来られて部屋は益々明るくなった。会は時間が過ぎるのが早く楽しい会であった。

 2,004年5月 18日(火)
  聖士會館は空手道の面においても常に進化している。上段回し蹴りの特訓方法。そして今日は突きを難なくかわす方法や前蹴り、下段回し蹴りを難なく受ける方法など次々に新しい技術が出てくる。
 口では言い表せないが全てが理にかなっていて少なからず、自分でも理解できるように説明戴く。
 唐手のお話から分かった事として手のティーは本来中国読みであり、空手のティーは手の開放であることを知った。

 2,004年5月 17日(月)
  昨日のアルコールが残って居て自分でも酒臭いのが分かった。疲労にアルコールは薬にはならない。
 やす子美容室住人の服部君が肋骨を怪我をしてしまい、昨日の試合で救急車で運ばれた。すぐにでも里芋湿布を貼ってやりたかったが自分の実家の方に帰ってしまった。休日というのは無条件で自分の係りつけの医者でなく当直医の所に運ばれてしまうので不運な事が多いだろう。服部君は心配なので実家の係りつけの医者の所に行ったのではないかと思うがなかなか治りそうもないし大変そうだ。聖士會館を知れば医者に行く気も失せてしまうが今まで蓄積した考えや常識が邪魔して真実を知ることができないというのは寂しい気もする...

 2,004年5月 1 6日(日)
  雨の中、ラグビーの試合。人数が集まらず色々なチームに声を掛けてやっと15人が集まるような始末なのでそんなに無理して試合を遣る必要はない気がした。来るメンバーは決まっていて其のメンバーの中で更に最近は丸中食堂にお邪魔するのが習慣になっている。3本続けて試合をやったので普段よりアルコールが回ってしまった。

 2,004年5月 1 5日(土)
 今日は栃木から名古屋に出張に来た前の会社の友達が豊橋まで寄ってくれた。温泉に入りたいと言うので一宮の本宮の湯まで行ってきた。一ヶ月位前に改装したらしく前面バリアフリーで真新しく案外良かった。余り天気は良くなかったが露天風呂で夜風に当たるのが気持ち良かった。

  2,004年5月 14日(金)
 Yah○○BBのインターネットの接続には怒れてしまった。前に「今更解約できません。お金は返しません。」と言われ、ただでさえ頭に来ていたがそれだけではなかった。繋がったどうか確認の電話を入れたら「2、3日前に繋がってますよ。」っと言い、「何で連絡をよこさないの?」って聞いたら「メールで知らせましたよ。」ってインターネットが繋がってないのに何故メールで知らせるの?って言いたかったがロボットのように同じ事を繰り返し言われるので辞めておいた。インターネットを繋がる環境に無い人はどうするのだろうか?電話も繋がっていない人はどうやって知るのだろうか?携帯電話の番号も知っていて何故!?って思ってしまう...なんか可笑しい。
 今更、ADSLを繋ぐ自分も自分だが今回は疲れてしまった。皆さんも気をつけましょう。

 2,004年5月 13日(木)
 朝から大雨、オクラの苗を育てているが、矢張り上臈の水より自然の雨の方が喜ぶ。なんか元気になった気がする。雨と言えばまさしく五月雨であるが五月雨はしとしとと気持ちがいい物だ。
 新緑に雨は付き物で雨が上がった後、ワーッと一斉に生えて来る新芽の薄緑色が目に優しい。
 大雨の中を銀行が閉まったのでコンビニでお金をおろしに行った。最近、コンビニでほぼ24時間、銀行や信用金庫、郵便局に至るまでお金がおろせるようになった。私にとって大体時間外にお金が必要な事が多いので有り難い事ではあるが反面、何時でもおろせるからいいやなんて計画性がまるでなくなってしまった。便利というのは凄いがその中身を忘れただ使っていると人間を堕落させる。電子レンジで食べ物を温めるのだってガスを使ってかき混ぜる行為を失してしまい、御飯も凍らせてチンすればそのまま食べれてしまう状態だ。無いなら無いで工夫するもので少し水を振ってもう一度火にかけるとか手間を惜しまなければ幾らでもやる方法はある。

 電子レンジでチンをする感覚、使い捨ての感覚というのは現代の時代を表していて人間もそんな扱いを受ける世の中だ。そんな電子レンジみたいな人生は嫌だ!!なんて雨の日に思ってみた。

 2,004年5月 12日(水)
 帰り際、銀行に寄ったら消防の新入団員に丁度あったので丸中食堂に誘った。彼は近くに勤めており気にいったようで丸中食堂の会員になってくれた。彼は大満足の大喜は当然で、何故なら会員の料金は最初は千円だが次から定食が50円引き、そしてそれが一年も続くという凄い、今時ありえないシステムを知ってしまったからだ。一人暮らしの男性が一人で料理を作り、果たしてろくなものを作れる筈も無く、自分も彼も本当に有り難いと思う。バランスの良い食事、健康はお金では買えないと思うと近くだから彼が日に2回も来そうだなんて思ってしまう。
 最近の学生は変わっていてそんな価値観ではなく、食費をケチって洋服を買い、デート代に費やす。(決してひがみではない。)手間いらず会話知らずのファーストフードやY野屋とかいわゆるジャンクフードに走る。自分の後輩達も多聞に洩れず、根本的な体の線の細さから見ても食生活が貧しい。そんなんでは体が出来る筈も無く力も入らない。「根菜類は力が湧くよ。」と
丸中の女将さんはよく言う。流石、よく知ってらっしゃるし本当に其の通りだ。現に丸中の食事には煮物などに必ずと言っていい程、大根やジャガイモの根菜類が入ってる気がする。比較的そのような考え方から言ってもあそこの食事を摂っていれば体が出来る。
 若者よ!食生活を見直そう!!特に自分の後輩達へ。

 2,004年5月 11日(火)
 今日は空手の稽古があったが由美さんかもさんが真新しい茶色帯になり、益々凛々しく貫禄がある。自分と楠美さんも白帯に一本線を入れる事を許された。今日から新しくキックミットを突く稽古が始まった。基本稽古は同じ事を何万回と遣る事が明日に繋がる稽古だが、このようなボクシングみたいにミットを蹴ったり突いたりするのも新鮮で楽しい。殆ど目くら打ちであるがたまにいい音がすると気持ちが良い
 自分はあまり考えないでただ遣っている事が多いが館長は常に研究している。私が襟を持ち其の瞬間、逆転で力が入らず朽ちてしまうような動作であるとか何故か分からないが力が入らない。真剣に遣れば遣る程、土壺に嵌るような気がする。そんなポイントが突きや蹴りの瞬間にもあると言う。何で?!と思ってしまい、全然分からないが其の瞬間が確かにある。それを研究して行きましょうと仰っていたが今の状態では皆目見当がつかない。そんな域まで行く事が自分の一生の目標だ。兎に角遣れば遣る程奥が深いに違いない。

 2,004年5月 10日(月)
 今日はまず聖士會館のHPが記念すべき300万カウントを超えた!自分のHPは未だ2,000カウントそこそこ、それを見ると正に天文学的数字だろう。一説では”はじめに”のページで毎日一万カウントになる時もあると言う。真実に正面から向かいそれを認識してくれる人が居るのはまだまだ世の中捨てちゃもんじゃない。
 それに今日はトリプルでみどりちゃんが20万カウント、そして瓦町支部の太郎さんが5万カウント!
聖士會館メンバーはは本当に凄いし、其の為の努力を惜しんでいない。今日はBBSに伝言が入りまくった、たまたま偶然それも同じような時間に皆でカウントのお祝いが出来るなんてなんか幸せだ。丸中食堂でのトリプルお祝い記念も決まったようだ。北岩田支部の赤川さんには又、お手数かけるが楽しい会になる事間違いない。

  2,004年5月 9日(日)
 消防のポンプ操法の大会当日、あいにくの雨でグランドはツルツルの状態で滑りまくりながらの本番だった。今までやってきた練習を信じてやるしかなかった。結果が惜しくも準優勝、分団長は練習の成果が出てこの結果が出て良かったと言ったが残念な気持ちはある。久し振りに滅茶苦茶に緊張した瞬間でもあった。
 大会が終わってからはどこからか競馬新聞が出てきて、直ぐに競馬の話が始まる。悪い癖ではあるが皆にとっては全てが勝負事であり楽しみなのかもしれない。消防団というのは一生懸命に火を消しに行ったり真面目な所もあるがそういう勝負事が大好きな気風を持った所だ。たまについて行けない時もあるが夜は反省会、楽しい反省会になる筈だ。

 2,004年5月 8日(土)
 連休の代替えで今日は出勤日だった。一ヶ月半に及ぶ朝の消防団の訓練は明日が大会で優勝しなければ、今日が最後の練習になった。自分だけ特別練習をやった事もあり、最初は嫌々やっている所もあるがそうも言ってもられず熱心に指導して下さる先輩や人より早く起きて準備してくれる同僚に感謝の気持ちがある。折角だから勝ちたいとかという欲も出てくる。
 毎日、皆が寝ている早朝に何故と思う時もかなりあるが正直に仲間として認知され、寝食を共にするかのような一体感が生まれるから不思議だ。人一倍要領が悪く、思うように体が動かなかったり、名古屋弁でいうとろ臭い自分を指導してくれる人達とその情熱に感謝。

 2,004年5月 7日(金)
 今日の空手の稽古の時に昇級審査の結果が発表になった。館長の代理で理事長から昇級の賞状を渡された。初めての昇級という区切りを合格した事と無級から十級になった喜びが込み上げてきた。他の一般部の仲間も由美さんかもさんが二級、御助君が六級にそして、楠美さんが十級に昇級された。
 今日の稽古では人一倍汗をかいてしまった。連休のビールと毒素がそのまま出てきた感じだ。終わってから妙にすっきりとしていて清々しかった。

 2,004年5月 6日(木)
 連休は終わったが世の中はまだ連休の余韻を残しており、車の交通量も少ない。インターネットの回線の手続きミスで自宅にはまだネットが通らない。会社昼休みや休憩の少しの合間と丸中食堂に迷惑をかけながらホームページをアップしているがたまにしかできなくて残念。少人数でも折角ホームページを見て戴いている方には申し訳がない。5月中旬には直る予定である。ネットが無くて気付いたがかなりネットに依存している生活を送っている。テレビが無くてもインターネットが出来ないと苦痛に思えてしまう...早く繋がって欲しいものだ。

  2,004年5月 5日(水)
 連休最後の日、名残り惜しいが満喫できた。部屋の掃除とごみ片付け、ごみの日に出されるごみの量も必然と多くなる。終わってから朝寝、だらだらと過ごした。
 午後からはJRCラグビークラブの母体とも言えるJ高校に練習に誘われ汗を流した。雨が降って来たが新入生の元気と熱心な行動にラグビーを遣り始めた時を思い出し嬉しくなった。

 2,004年5月 4日(火)
 昨日の夜疲れて早く寝てしまったからか地元の連れは朝早過ぎる起床。大原庄助さんばりに朝寝朝酒でテンションが高くてまいってしまう。昨日の昼に駅前の一楽飯店に行って終わっており明日来てねと言われたので一楽飯店に行ってラーメンを食べた。噂通りの絶品で大満足だった。丁寧な応対をしてもらってそれも良かった。「また来てね!」なんて初めての客に愛想良く気さくな所だ。
 地元の友人達は渋滞に巻き込まれたくないのと首都高を通りたくないので新潟周りの福島経由で帰る事にした。渋滞には巻き込まれなかったが矢張り仙台まで帰るのには一番遠い道のりで11時間近くかかったらしい。嵐のようなやつらだった...
 夜は聖士會館神霊学講座の麒麟会に出席させてもらった。今日は人数が多くてやたらと部屋が暑い日だった。其のメンバーでもないのに皆さんには気を遣ってもらって申し訳ない。

  2,004年5月 3日(月)
 今日は連休を利用して中学時代の友人2人がわざわざ宮城から渋滞を乗り越えて来てくれた。渋滞にはまり13時間寝てないのもあって疲れていた。観光と小旅行に行くつもりだったが疲れてるからいいやと言う事になり、普段の生活のまま丸中食堂で一杯遣った。友人2人は大満足でURLのある食堂に驚いていた。風呂に行って家に帰り焼酎を飲んだ。そしたら1時間もしないうち三人ともダウン、22時には寝てしまった。疲れていたらから仕様がないが「何しに行ったの?」っていわれたらどうするつもりなのだろうか。
 再度、丸中食堂に行ったら太郎さん由美さんかもさんがんこさんの四人がいらしていた。この四人が集まって話している雰囲気は明るく、ほんわかして空気が和む。まさに聖士会館の天使達だ。

 2,004年5月 2日(日)
 大学のラグビー部のOB戦当日。久し振りの再会で心が弾む。結婚した人や子供を連れて来る同期や先輩が居てOB会も年々賑やかになってきている。試合を20分、4試合やり現役がOBには負けまいと闘争心を剥き出しにして挑んでくる。低迷の続く現役ラグビー部にしては期待の持てる結果でOBを寄せ付けなかった。現役が強ければ強い程喜ばしい事はない。何よりも一生懸命遣っている姿が嬉しい。
 グランドホテルでの総会を終え、ラグビー部行きつけの丸中食堂で大宴会。食べきれない程の料理を用意してもらい其の後三次会、楽しい夜は更けて行った。

  2,004年5月 1日(土)
 大学のラグビー部のOB戦前日とあって続々と同級生や先輩から電話がある。ある同期は東京から深夜下道をひたすら渋滞に巻き込まれながら朝6時頃に豊橋に到着して電話をくれた。久し振りに会えるが殆ど皆が変わって居らず学生時代に戻れてしまう。
 夜から消防の慰労会があり、団員が気を遣ってくれ今までは焼肉パーティだが鰹や煮物を用意してくれた。先輩後輩関係なく和気藹々できる雰囲気がここにはある。
 其れから神霊学講座の麒麟会に出席。空手の先輩である小林さんやがんこさんにはじめてお会いした。小林さんは昔の空手のスタイルとは違うので基本技がどう違うか気にしていた。とても勉強熱心な方だと思った。がんこさんGANKO WORLDの雰囲気そのままの人でほんわかした雰囲気の感じの良い方だ。同じ東北出身の方なので同郷のよしみといくか近しい感じがした。この麒麟会も最高に盛り上がった。何時も飲み過ぎるが楽しい時間だ。

 

 
 

 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送